「薔薇の名前」小説と映画

先日、「薔薇の名前」の映画をDVDで見て、小説の方はまだ読んでいなかった事に気がつきました。

そこで、その後頑張って、上下二巻、読み終わりました。

出来るだけ丁寧に読むつもりでしたが、キリスト教の歴史の中で、正統派と異端派についてとか、教皇派と皇帝派の対立とか、とても詳しく記述があって、読むのがしんどいところは、ざっと斜めに読んでしまいました。

小説と映画では、当然違いはありますが、両方を読んだり見たりして、かなり良く分かって面白かったので、私の場合はよかったと思います。

この中世の修道院で、何人もの修道士を死に追いやってまで、図書館長や盲目の老修道士ホルヘが秘密にしたかったアリストテレスの一冊の書物が、本当にあったのか、無かったのか分かりませんが、その書物の主題が「笑い」だったなんて、気の毒な感じです。当事者たちにとっては、それほど深刻な問題だったのでしょう。

図書館の中の構造が、小説では、植物などで作られた迷路のようになっていて平面的ですが、映画では、エッシャーのだまし絵のように、階段状の通路が張り巡らされていて立体的な迷路になっている感じ。

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左が、小説の挿絵の迷路状の図書室、右が映画の場面。 

ウィリアムと一緒に図書館に忍び込んだアドソが、迷わない様にセーター(?)の毛糸をほどいてしるしをつけるという場面は、漫画などでよく見るのですが、編み物をする者から見ると、?です。編み方にもよりますが、そんなに簡単に、都合よくほどけるものではないと思うのですが。

物語の最後は、映画のほうが、救いがあってよかったです。

小説の方も、アドソの記録として、その後がかなり詳しく書かれていて親切だと思いました。

 

NHKの「100分de 名著」の講師である和田忠彦先生が言われる、「自分の感情のままに読む読者、経験的読者」の一人である私ですので、結局、「記号論」については、分かりませんでしたが、歴史物ミステリーとして、映画の助けもあって、面白く読めました。